アメリカの大学で感じるグローバリゼーションの兆し。

今回は、自分がアメリカの大学で授業を受けていて感じることを書いてみます。

僕が感じていることを伝えられたらと思います。



英語ができることは最低条件。

はじめに、よく言われていることだけれど、まず英語がある程度できなければどうにもならない。「身振り手振りを使えば伝わる」というのは日常会話における話であって、学問では限界がある。ビジネスでも同様だろう。

例として、僕が今受けている”The Political Economy of Privatization”というクラスを挙げてみよう。このクラスでは、週に2回リーディングの宿題が課され、授業中には、担当の生徒がリーディングの内容についてプレゼンした後、クラス全体でディスカッションをしている。

この一連の流れで、リーディングの課題を「読む力」、プレゼン及びディスカッションを「聞く力」、そしてディスカッションで自分の意見を「話す力」が必要であることが分かるだろう。さらには、2回のMid Examと学期末のFinal Examで「書く力」が試される。

このように、授業についていくためには、英語の「総合力」が必要だ。付け焼刃ではない、バランスのとれた英語力が求められている。


英語で劣り、スキルでも劣れば、役立たずだ。

では、とりあえず「英語がある程度できる」と仮定して話をすすめよう。

ここでようやくスタートが切れる。

ただ、英語ネイティブでない人は、多くの場合やはり英語力においてはネイティブには劣る。これは仕方のないことだろう。しかし、そこで気をつけいけないのは次のことだ。

英語で劣り、スキルでも劣れば、それこそ役立たず。

僕はこのことを身をもって感じた。

「コーポレート・ファイナンス」の授業を受けていた時の話だ。この授業を受講するためには、あるファイナンスの授業が必修となっていた。そのため、この授業を受ける人は皆、ファイナンスの知識をある程度持っていた。

一方、「交換留学生」という立場の僕は、そうした条件を無視してどのクラスでも自由に受講するとができた。そこで、興味本位でこの「コーポレート・ファイナンス」の授業をとってみた。ファイナンスの知識はゼロに近かった。

そこで経験したのがまさに「英語で劣り、スキルでも劣る」という状況であった。想像してみると分かるかもしれないが、これはなかなか悲惨だ。授業中は周りに追いついていくのに必死で、授業に貢献することはほとんどできなかった。

授業と並行して、自分でゼロからファイナンスの基礎を叩きこまざるをえなかった。


ネイティブスピーカーに英語で劣る分、どこで秀でるのか?

このような状況にならないためにも、英語を前提とした上で「どこで秀でるのか?」という問いが大事だと思う。

日本では英語ができると分類される人でも、海外に出るとそれはプラスの要素ではなく、もはや当然のことだ。だからこそ、他の分野で自分が誇れるものを持っておく必要がある。

さらに、非ネイティブの人でも英語をペラペラ話せる人は増えてきている。また、インドに代表される低賃金かつ英語を話せる人材が多くいる国も増えてきている。そうしたトレンドの中で、「自分だからこそ生み出せる価値って何なんだろう?」と問いかけることはさらに重要になってくるだろう。

そして、考えたところで終わらず、その問いによって行き着いた「答え」を地道にコツコツと身につけていくことが求められるだろう。考えることでも大きな一歩だけれど、それを行動に移すことはさらに大きな一歩。これは僕自身、いつも思い出すようにしている。


結論チックなこと。

日本にいる限りは英語を使う必要はないし、そもそも他人に秀でる必要なんてあるのか。そんな風に考える人もいるだろう。

でも、グローバリゼーションというトレンドは、きっと思っているよりも大きなものだ。日本にいて普通に生活していては気づかないかもしれない。それでも、この動きがじわじわと迫ってきているのはたしかだ。

実感が湧かない人は、この記事を読んでみることをオススメする。

  • 日本企業の人に知ってほしい、外資系に見るグローバリゼーションの現実
  • togetterにまとめきれなかった、グローバリゼーションの本質

  • これらは外資系企業ではたらく@yuu_keyさんの記事で、グローバリゼーションでどんなことが起こり始めているのか、またこれからどんな変化が起こりうるのかがわかりやすくまとめられている。


    ここに書いてある現象は、まだほんの一部分にしか現れていない。ただ、この大きな動きは目に見えていないだけかもしれない。そして、その現象が僕らの生活に影響を及ぼすようになったとき、上で書いた僕がアメリカの大学で経験したようなことが現実世界でも起こり始めるのではないだろうか

    言い換えれば、授業中のディスカッションで何も言えなかったという状況が定例のビジネスの会議において起こることになるかもしれないし、「英語」+「何か」がより多くのサラリーマンにも求められるようになるのかもしれない。

    そう考えると、少しゾッとする。

    「もし、アメリカの大学で起きていることが
    未来における世界の縮図だとしたら、どうなるのか。」

    これはめちゃくちゃな仮定かもしれない。
    でも、そこから学ぶことは多いと思う。



    by Motoki Yoshida
    Twitter: @show_motto

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    「アメリカの大学で感じるグローバリゼーションの兆し。」への2件のフィードバック

    1. こんにちは。私は16歳です。高校を休学し、渡米して2ヶ月間語学学校へ通っています。現在進行形で

      私もサンフランシスコです^^イーストベイなんですけどバークレーです。

      ブログ為になります^^おもろいです

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