「真っすぐが通用するうちに、次の変化球を覚えておけよ。」を考える

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東尾修氏が後輩の工藤公康投手に送ったアドバイス

真っすぐが通用するうちに、次の変化球を覚えておけよ。

『トップアスリート名語録』

この言葉は、東尾修氏が後輩の工藤公康投手に送ったアドバイスだ。

これを聞いて工藤選手は、当時自らの強みであったストレートとカーブに加え、シュートなど新たな変化球にも磨きをかけた。その結果、「ハマのおじさん」と呼ばれるまでの長い現役生活を送ることができたという。

この話は、先日1月29日の天声人語にその一部が掲載されていた。
その後はこう続く。

さて、輸出に代わるべき日本の「決め球」である。
円高に乗じて外国企業を買うのも一計だが、
まずは空洞化を阻み、財政赤字を減らす守備固めを急ぎたい。
幸いにも、いや不幸にしてと言うべきか、国に引退はない。

このように、日本経済に当てはめている。

僕らにとっての「真っすぐ」と「次の変化球」とは?

僕は、この話を聞いた時、「他人ごと」とは思えなかった。
また、「日本経済」という大きな枠組でも捉えられなかった。

まっさきに、「自分」はどうなんだ?と考えてしまった。

自分にとって、「真っすぐ」ってなんだろう?
自分にとって、「次の変化球」ってなんだろう?

例えば、「学生」とは一つの「真っすぐ」であろう。
良くも悪くも、「学生」は特別扱いしてもらえる。

「学生なのに〜していてすごい」

とよく聞くのはその表れだ。同様に、「若い」も一つの「真っすぐ」であろう。

「まだ20歳なのに〜してすごいね」

こうした言葉を言ってもらえるのは、とても光栄なことだし、心底うれしい。でも、その一方で、そこから「学生」だとか「若い」を取り払ったらどうなるのかと考えてみる必要があると思う。

自分がやっていることは、「学生」という肩書きの下だからすごいのか?
自分がやっていることは、「若い」という肩書きの下だからすごいのか?

つまり、それは、一定の時を経ると通用しなくなってしまう「真っすぐ」なのか、と。

「魔球」がなければ「次の変化球」を考える必要がある。

人にも依ると思うけれど、僕の場合、生涯にわたって通用するような「魔球」を持っているわけではない。あるとしても、120km/h そこそこの「真っすぐ」だろう。だからこそ、「次の変化球」を覚える必要がある。

ただ、一つ注目すべきなのは、「学生」だとか「若い」というのは「真っすぐ」であって、今は少しなりとも通用するということだ。これを利用しない手はない。
今通用する「真っすぐ」を最大限に生かしつつ、その中で「次の変化球」を覚えてゆくこと。これが今の僕にできることであり、やるべきことであろう。

学生団体に入っているという「真っすぐ」を持っている人は、それを利用すればいい。ただ、その「真っすぐ」に満足せず、その活動を通して、「次の変化球」を覚える必要があるのではないかと思う。

この話は、あらゆる人に当てはまる。
長い「現役生活」を送りたいのなら、次のように考えてみるといいかもしれない。

自分にとって、「真っすぐ」ってなんだろう?
自分にとって、「次の変化球」ってなんだろう?

むずかしいけれど、考える価値のある問いだと思う。

考えろ、考えろ、マクガイバー!


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コメント

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